低く構えたボディーとオーバーハングの短い全長、頑丈そうな構造の田宮製低価格4WDということで購入。親玉として発売されていた赤いイメージのホットショットが大人気だったころです(ウイングに大きく「4WD」とか書いてありましたね)。シャフトドライブで、かつ密閉式ギヤボックスのため埃が入りづらいことや、ギヤがうじゃうじゃ入っていて、すごくメカニカルな雰囲気が魅力的でした。イメージカラーが白と青で、さわやかなイメージがあったこと、なじみの模型屋のショーウインドーにずっと飾られていたということも一つの動機か?(ブーメランと言うネーミングだけはいまいち気に入ることが出来ませんでしたが・・・。車体を低い位置真横からみると、確かにブーメランのような形をしているのだが・・・安易なネーミング?)。
ラジコンにもだいぶん慣れてきた、またレースに出てたくさん賞品を頂戴したい!、ということもあり、周辺機器にだいぶん投資しました。軸受けはフルボールベアリング(それも高価な純正品、ホットショットフルベアリングセットみたいなやつ)+スラストベアリング等々。モーターは京商製のルマン240S、スピコンはアンプに換装した。その他、走行安定性向上を図るため、オイルダンパーを換えたり、スタビライザーなどの各種オプションパーツなどを追加した。他には、ギヤの数が非常に多かったので摩擦抵抗の軽減に注意をはらった。グリスの種類、量にも気を配り(それまでは多けりゃ多いほどいい。つまりは大は小を兼ねる的発想だったのだが)組み立てながら常に微修正を施していた。
<フロントダンパー完全独立化>
この車、リアはCVAダンパー2本使用による独立サスなのだが、フロントはダンパー1本使用のモノショックであった(ホットショット譲りですなあ)。当然、車高は落ち気味になり、作動が引っかかり気味になるという印象があった。従い、デュアルショック化への改造を施されることとなる。当時、いろんなメーカーから改造用のパーツが出ていたが、なかなか素晴らしい値段がついていたので、自前で何とかすることとした。解体されたシャーシが複数転がっていることだし。というわけで、前述のサーキット1000のダンパーステーとダンパーを流用使用した。改造に手間取ったのはステーに新たに取り付け用の穴をほがす事くらい。家には電気ドリルがあったため、何のことはなく完了。後はボルトオンでデュアルショック・ブーメランの完成である。ステーの強度を増すために、左右連結などの処置も施しておいた(これがちょうどいい持ち手にもなりました)。
さてさて、レース参加です。なじみの模型屋さんのショーウインドーに張ってある参加案内のポスターを確認してエントリー。開催場所は河川敷の橋の下であった。
レース1回目
芝生コースで走行抵抗が大きかったが、なんとか予選では1位。コース取りとかそんなややこしいことを考える暇はありませんでした。なんせ無我夢中で周囲が見えていない状態。コースが狭く、あちらこちらでクラッシュが起きている始末。なにやら漁夫の利といった感じ。しかし漁夫の利は決勝戦には通用しない。←あたりまえだ。余談ですが、賞品は参加賞のプラモデル(多分売れ残り在庫処分品であろう・・)のみであった。
レース2回目
レース前日に走らせすぎてモーター、アンプを焼いてしまう。おんなじ日に、ファミコンも発熱が原因で壊してしまう。なんせ直前だし、金もないし、泣きかぶりつつも540モーター、3速スピコンを臨時出動させてで参加。結果は最悪。何でこうなるの〜。当時高校受験を控えていたため、これ以上遊ぶなという天からの警告であろうか。
結構長い間過酷な場所を走らせていたが、駆動伝達系の故障は全く無し。でした。すごくタフな車でした。
この車も最終的には売られていきました。確かガスガンに化けたはずです。